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じょるるんです。

うっ、うーん・・・
わははのは
うーん、うーん・・・・


ガバッ!!


yumeyume.jpg
最近のマナどのは、よくうなされる・・・。




kaiga.jpg 
 私じょるるんが調べたことを少しだけ・・・。 

 海賊アドリアーナ・マナの部屋にはもっとも

 人目につかない壁に一枚の絵が飾られて

 いる。

  高貴な身分だろうか? それなりに立派

 な邸宅と大きな噴水。その前には屈託のな

 い笑顔を振舞う恰幅のよい男性と、少し神

 経質そうではあるが、それ故に幸せが伝わ

 ってくるはにかんだ女性。そして彼らの間

 には、いまだ何の苦労も知らない無垢な笑

 顔をたたえる少女。

 微笑ましい家族の風景・・。
 
 家族?・・・家族・・・

 




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そう。この家族が住んでいたのは、ナントを首都とするブルターニュ公国。
北は強大なイングランド、南はフランス王国に挟まれた小さな海運国であった。


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父であるバスティアンは公国貴族階級に属する海軍の提督で、その名前は
イングランドにもフランスにも大きく轟いていた。と、こう記述すればよ
く聞こえるが、このことは逆に、バスティアンがイングランド、フランス
両国にとって厄介者でしかなかったことを物語ってもいる。

mamas2.jpg
母であるアリアンヌは、敬虔なカトリックであった。
ひとり娘を連れて毎日決まった時刻に教会を訪れては祈りを捧げた。
とはいえ、祈りの内容が夫の無事の帰還だけであったことを考えれば、
家族を想う強い気持ちが彼女を敬虔なカトリックに育て上げたといえる。


海峡に位置するブルターニュ公国は、イングランド、フランス双方において重要な

戦略の地であった。とうぜん、公国は何十年にもわたって、両国から大きな圧力を

かけられ続けていた。

1487~1491年にはフランスとの大規模な戦争が勃発(狂った戦争)。

降伏か抗戦かが貴族連中の間で議論されたが、それらさえ貴族自身の領地所有権を

巡る保身のためでしかなかった。ただひとり、バスティアンだけが、ブルターニュ王

と民衆の安全確保および永続的な自治権を条件としてフランスへの帰属を唱えた。

苦渋の決断であっただろう・・・・。

1532年、公国は州として組み入れられる形でフランス王国の傘下に入った。

表向きの自治権が認められたとはいえ、すべての条件が叶えられることはなく、実質的

には軍事力による支配に他ならなかった。ここにブルターニュ公国は消滅。


そして、この併合を機会としてイングランドによる北部フランスに対する攻撃は激化した・・・。

041313 041959
妻と娘、その安否を気遣いながらも父は気丈に振舞った。

しかしバスティアンもイングランド軍の火の手が近くにまで迫っていることを

感じずにはいらなれなかった。いや、彼が一番それを実感していたに違いない。

そのため、自分だけがこの地にとどまり、明日にでも妻と娘をマルセイユに避難させようと決めた。

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父が最後に残したもの・・。


それが、


1枚の絵2
この1枚の絵にほかならない。




しかし悲劇はここからである・・・。




明朝にはマルセイユに出発すると決めたその日の夜のこと・・・

燃える
正体不明の軍勢による奇襲より、ナントは大きな打撃を受けた。

街中にこだまする「イングランド軍!」の叫び声・・・。

まっ先に狙われたのは、バスティアン邸であった。

父と母は、痛手を負いながらも迫り来る敵を相手しながら、

ひとり娘を裏口から逃げさせるのが精一杯だった・・・・・・。





気が向けば、つづく


 080811 003009_1 だれか妄想物語書かせてください
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