上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[ --.--.-- | スポンサー広告 | | PageTop↑ ]
じょるるんです・・。

襲撃から3日後、北上してきたフランス正規軍の介入と同時にイングランド軍は撤退。

群集に連れられて避難していた教会を出て、マナどのは自宅へ走った・・・・・

そこで待っていたのは、

やけあと4
過酷な現実。もはや面影もない焼け跡。もちろん両親の姿はなかった・・・。

いまだ煙がくすぶる焼け跡からかろうじで出てきたのは、鉄の箱に収納されていた、

先日描いてもらったあの1枚の絵であった・・・。

泣きじゃくりながらそれを両手に抱え、そして、そのまま意識を失った・・・。


- 数日後 -

042213 143504_1
マナどのはマルセイユの市街地から少し離れた丘の上にある建物で目を覚ました。

当時、いや今もそうだが、各国首都には戦火によって孤児となった子供たちで溢れていた・・・。

フランス軍によって保護されたマナどのは、この孤児院に収容されたわけだ。

クラリス
この私立孤児院を統括するのが、孤児院長クラリスであった。

当時の記録を調べてみると、彼女が院長になってからの3年間で157人の子どもたちが

脱走している。これは、その前後期の約3倍にあたる。クラリス院長が厳しい人であった

のは間違いない。ただ、彼女が院長に就任した期間は、フランス全域において孤児が大幅

に増加した時代でもある。苦労も多かっただろう。

彼女を責めるのか、社会を責めるべきかは、私じょるるんには判断できない・・・。

それでも我慢をしつつ、マナどのはここで1年と2ヶ月を過ごしたようだ。


しかしある日、

042213 151239
この一言がマナどのの胸に大きく突き刺さった・・・。

発せられた言葉を聞くや否や、
逃走1
マナどのは孤児院を飛び出した。


もちろん、その後を追うものなど誰一人としていなかった・・・・・。


つづく


 080811 003009_1
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。